北条地区(3)

この松の下にたゝすめば露のわれ(高浜)虚子

道の辺に阿波のへんろの墓あはれ(高浜)虚子

 両句とも、この地に縁の深い俳句である。
 句碑の側面には、「高浜虚子君嘗て其幼時を過せし我西ノ下の地を見んとて大正六年十月十五日帰省の序を此の地に来り遊ぶ。今其時になれる句を乞ひ石に刻してこの松の下に建つ 干時昭和三年一〇月中浣」とある。
 「この松の下にたゝすめば露のわれ」は、「ホトトギス」大正6年12 月号に発表した句で、兄の法事のために帰省したとき、懐かしい西ノ下を詠んだもの。この句碑は、虚子の句碑第1号となった。
 また、西ノ下大師堂の前には、四国遍路の途上で病没した遍路の墓があり、昭和10年4月25日、虚子はこの句碑と遍路墓を見た後、鹿島に遊んだ。このとき詠んだのが「道の辺に阿波のへんろの墓あはれ」で、昭和30年に「この松の下に―」の句碑に追刻され、「阿波遍路の墓」が建てられた。

所在:松山市柳原(西ノ下大師堂)

北条地区(3)番