北条地区(4)

枯枝に鴉のとまりけり秋の暮れ(松尾)芭蕉

 碑陰には、「天保七星仲秋良日當之 花衣 禹蓉 呑松 普格」とある。
 句の初案は、延宝8年(一六八〇)の東日記に「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」となっていたが、元禄2年(一六八九)、「肱野」に収めるときに「枯朶に烏のとまりけり秋の暮」に改められた。漢詩の「詩題」で「寒鴉枯木」の暗示を受けているとも言われている。
 この句の中七は九音の字余りになっているが、この当時、多く好まれた形式であった。
 なお、一心庵の墓地には、幕末から明治にかけて三宅棲霞とともに活躍した白石兎遊の墓所があり、墓碑の側面に
  松の月久しく露を保ちけり
墓碑を囲む玉垣の3基の石柱の内側に
  我が願ひ届くしるしや百の花
  遍照の徳ありがたや老松の千代ひと度に家も栄える
  長き夜の月まだ松に残りけり
と刻まれている。

所在:松山市柳原(一心庵)

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