城北地区(1)

永き日や菜種つたひの七曲り(正岡)子規

 明治25年6月17日、松山の河東碧梧桐に「松山名處十二ヶ月」の三月の分として書き送った六句中の一句。子規句集「寒山落木」巻一(明治25年春)中の句。加藤嘉明が城下町建設の時、旧今治街道を、姫原・鴨川の辺りで、戦略上わざと屈折させ、それを七曲りといった。今日でも、姫原から内宮までの間の国道沿いの旧道に、辛うじてその面影を留めている。その「七曲り」の語を懐かしんで、この句を句碑とした。五七五の三句の語頭の「な」の音が口調よくしている。翌明治26年子規の句にも、「菜の花や道者よびあふ七曲り」がある。自筆拡大。
 松山広域都市計画事業城北土地改良区画整備事業完工を記念して、昭和57年7月12日建立した。

所在:松山市山越六丁目(高崎公園)

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