城北地区(6)
春雨や王朝の詩タ今昔(松根)東洋城
太山寺参道を右へ納経所へ入る反対側、一畑薬師堂の後、小高い茂みの中にあり、ちょっとわかりにくいが、高さ3.5㍍の、堂々たる句碑である。太山寺本堂で渋柿句会の時、境内で見つけた石に近詠を彫ったものである。
「詩タ」は「うた」と読ませるための配慮であろう。「和歌」と言えば耳に硬く聞こえるので、こう書いたものか。「王朝の詩タ今昔」と、名詞だけを並べたのも心憎い。
静かに春雨の煙る中で、「伊勢物語」か「古今集」の中の歌を口ずさんでいると、身も心も、おのずから、千年の昔、王朝の世界にあるかのような思いがする、というような句意。きびしい俳諧修行を旨とした東洋城にしては、まことに優艶な気分のただよう句である。村上杏史の句碑「道ゆづる人を拝ミて秋遍路」(俳誌「柿」三百号記念)が近くにある。句碑は昭和25年建立。
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所在:松山市太山寺町(太山寺参道)
城北地区(6)番