城北地区(8)
八九間空へ雨ふる柳かな(松尾)はせを
十月の中の二日や柳つか蕉門老人竹翁
芭蕉五〇回忌の句碑(塚)である。久万高原町大宝寺にある「霜夜塚」とともに、県内はもちろん、南海道でも最古の芭蕉句碑で、竹翁の句との二句が一つの碑に刻まれている。芭蕉の句の「空へ」は「空で」が正しい。元禄7年(一六九四)の作で、芭蕉最晩年の「春」の句。
句は、京の大仏辺りの柳が春雨に煙る実景を見て、後日詠んだ句ともいわれている。しとしとと降る春雨が、八九間の空から柳の糸を伝ってしたたる、その「しずく」を、「空で雨ふる」と言ったもの。
黒田竹翁は三津の俳人であろうか、詳しいことは不明。芭蕉は元禄7年(一六九四)10月12日大阪で没した。「中の二日」はその12日のこと。竹翁の句は、寛保3年(一七四三)の芭蕉翁五〇回忌に芭蕉の「柳」の句の塚を建立するに当って、その忌日(10月12日)を句に詠み込んだもの。山門の石段に至る手前、参道の左側にある。
所在:松山市太山寺町(太山寺参道)
城北地区(8)番