城北地区(9)

鶴ひくや丹頂雲をやぶりつゝ(松根)東洋城

 「東洋城全句集」上巻、大正9年に見ることができる。「鶴引く」は、鶴が春になって北へ帰ることで、「春」の句。前途ある若人を祝福するにふさわしい、勢のいい句である。
 句碑の筆跡は、戦前から松山中学校(現松山東高校)の「明教館」に掲げられていた掛軸から採ったもので、この掛軸は今も松山東高校にある。松山中学校は東洋城の母校であり、ここで夏目漱石に英語と俳句を学んだ。
 句碑は、東洋城を師とする、地元和気町の俳人芳野秀春(俳号仏旅)が、円明寺の住職の要請もあり、建立したもの。句碑の立てられた昭和46年10月27日は、東洋城の八回忌の命日の前日であって、同日、あわせて、仏旅の句碑「星を掃く寺の銀杏や夜半の霜」も建てられた。
 他に、子規門の俳人、中野三允の「麗かやめくらの眼にも弥陀の像」(大正14年四国巡礼の途中、円明寺での作)の句碑がある。昔、円明寺で盲目の遍路が開眼したという寺伝による。
 中野三允(明治13年―昭和30年)は埼玉県幸手生まれの俳人。早大卒。薬剤師。「俳遍路」などの著がある。

所在:松山市和気一丁目(円明寺)

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