城北地区(11)
木の芽日和慶事あるらし村人の(森田)雷(死久)
「森田貫了師、俳号雷死久、伊予国岡田村の人、平田宝珠院の法燈を継ぐ、俳句に秀で斯界の重鎮たり。四国霊場巡拝記及び面河紀行は海南新聞に光彩を放つ。又夙に果樹栽培の急を説き、明治卅五年梨樹を植ゑ、範を垂る。更に伊予果物同業組合を興し初代専務理事となり、後日わが郷をして果樹王国たるの基を成す。其功偉なり。大正三年六月八日寂。年四十三。昭和三十三年四月 温泉青果農業協同組合長 門屋禮三郎選文 平田果樹栽培者 月蝕吟社並友人関係者建之」
木々の芽もふく春のいいお天気の今日、この村の誰かの家でおめでたがあるとか――そんな意味の句。筆蹟は自筆。「月蝕吟社」は、堀江の俳句結社。碑文中の「四国霊場巡拝」は明治39年(一九〇六)10月15日より40日間、「面河探勝」は明治42年11月20日より4日間の旅行であった。雷死久は常福寺住職、子規最晩年の門人、のち碧梧桐らの「新傾向」に走る。
所在:松山市平田町(常福寺)
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