城北地区(16)
軽之神社・軽太子の塚
紀元435年のこと、允恭天皇の皇太子木梨軽太子(きなしかるのみこ)は、実妹・軽大郎女(かるのおおいらつめ)と許されない恋におち、太子は伊予の湯に流された。姫は恋しくてたまらず追いかけて来たが、二人はついに、この地で亡くなられた。『古事記』に残る有名な悲恋の物語である。
その名も「姫原」というこの地には、いつの頃からか、二人を祀った「軽之神社」があり、神社より奥の山裾に二人の塚と言われる比翼塚がある。
比翼塚の隣には、木梨軽太子の「天飛ぶ鳥も使ぞ鶴が音の聞えむ時は我が名問はさね」(空を飛ぶ鳥は使いだ。鶴が鳴くときは私のことを尋ねてくれ。)と、軽大郎女の「君が行きけ長くなりぬ 山釿の迎へを行かむ 待つには待たじ」(お迎えにまいります。待ちきれません。)を並べて刻んだ歌碑が建立されている。
なお、「山釿」とは、植物のニワトコのことで、「山釿の」は「迎へ」の詞となっている。
所在:松山市姫原一丁目(姫池・東山裾)
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