城下コース(27)

正岡子規まさおかしき生い立ちの家跡

 子規が、二歳から明治16年一七歳で上京するまで住んでいた家がここにあった。

くれなゐの梅散るなへに故郷ふるさと
 つくしつみにし春し思ほゆ(正岡)子規

 我が国最初の子規の歌碑で、文字は「仰臥漫録」の文字を拡大したもの。
 明治35年(一九〇二)3月10日、伊藤左千夫が紅梅の鉢をもって子規を見舞いに来た。3月26日、「紅梅の下に土筆など植ゑたる盆栽一つ、左千夫の贈り来しをながめて朝な夕なに作れりし歌の中に」と詞書して、この歌以下一一首を「日本」に発表した。また、妹の律が碧梧桐一家と赤羽へ土筆を摘みに行った時の歌「つくづくし故郷の野につみし事を思ひいでけり異国にして」など一三首を、この年4月4日に発表している。いずれも「仰臥漫録」にも載っている。病床の子規は、梅につけ土筆につけ故郷を思ったのである。
 また子規は「つくし」が好きだったらしく「つくしほど食ふてうまきはなく、つくしとりほどして面白きはなし。」とも言っている。
 昭和26年9月19日、松山子規会建立。

所在:松山市湊町三丁目(中の川筋緑地帯)

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