城下コース(42)

春や昔十五万石の城下哉(正岡)子規

 明治28年(一八九五)の句で、誰にもよく知られ、そして、松山のシンボルともなっている子規の句である。同じ句を刻んだ小さな句碑が、昭和24年4月、戦後の子規の句碑として、いち早くこの松山駅前に建てられ、それが昭和28年市駅前へ、のち堀之内へと移された。(現在は子規記念博物館の横にある。)
 その後、松山を代表する句ということで、再び、この大きな句碑が松山駅前中央広場に建てられたが、昭和55年8月、駅前広場改造工事のため、西北隅に移された。
 この年、子規の別の句碑に、「古白(本名・藤野潔)を悼む」と題して、次の句もある。
  春や昔古白といへる男あり (明治28年)
 古白は子規の従兄弟で、この年、ピストル自殺をした。
 また、蕪村の句に、「春やむかし頭巾下の鼎疵」という句がある。蕪村好きの子規のことだから、この句も、恐らくこれにヒントを得たものと思われるが、蕪村のこの句は、子規とは相容れない古今集の中の在原業平「月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして」という和歌を下敷きにして出来た句なのである。平安朝の優男、在原業平は苦笑いしているかもしれない。子規自筆の拡大。

所在:松山市大手町二丁目(JR松山駅前)

城下コース(42)番