城下コース(44)

さまさまの事おもひ出す桜かな(松尾)はせを
明治甲午夏

 「明治甲午」は明治27年(一八九四)のこと。芭蕉没年(一六九四)から、満二百年にあたる。「はせを」は芭蕉のこと。建立者はわからないが、俳聖芭蕉の二百回忌にこの地の俳人達が建てたものであろう。
 貞享4年(一六八七)3月、芭蕉が江戸から故郷伊賀上野へ帰ったところ、旧主藤堂良忠(俳号蝉吟)の遺子良長(俳号探丸)から、下屋敷の花見の誘いを受け、二〇年ぶりで訪ねると、昔の跡はそのままで、庭前の花を見つけるに つけ、さまざまのことを思い出し、感無量の気持ちを詠んだもの。探丸は早速芭蕉のこの句に、「春の日永う筆にくれ行」と付けた。旧主蝉吟は二五歳で既に病没し、今、その子探丸は二三歳になっている。―この時芭蕉は四五歳であった。
 戦災の後、この句碑は、本殿の西側の縁の下に横倒しになっていたが、このように元の姿を現して感慨深い。この碑の傍らに貞享4年(一六八七)より阿沼美神社の神職だった大山為起(国学者・「味酒講記」の著者)の招魂碑がある。

所在:松山市味酒町三丁目(阿沼美神社)

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