城南地区(5)

旅人のうた登り行く若葉かな(正岡)子規

草履単衣竹杖斑 孤村七月聴綿蠻めんばん 
青々稲長恵原えばら里 淡々雲懸三阪山(正岡)子規

 地元、坂本村窪野青年団の建立したもの。 
 子規らの四名(太田正躬・竹村鍛・三並良)は岩屋寺行きを志し、明治14年(一八八一)7月31日、荏原を通って旧道から三坂峠を越えて久万町に一泊、翌日岩屋寺の奇勝を尋ねたが、帰り道で、二歳年下の子規(満一三歳)は疲れて歩けなくなり、石井辺りから人力車で家まで帰った。その直後、この漢詩や「遊岩屋記」(漢文)を、回覧雑誌「近世雅感詩文」などに載せた。
 詩は「草履単衣竹杖まだらなり。孤村七月綿蠻を聴く。青々稲は長ず恵原の里。淡々雲はかかる三阪の山」と訓む。「綿蠻」は小鳥の鳴き声。
 俳句の方は明治25年、「寒山落木」に「三阪」と題してこの句がある。明治23年8月18日から三泊四日の岩屋寺への二度目の旅行(古白ら三名と同行)の時のことを思い出しての句である。この時は往きは新道を通ったらしく、帰りは旧道だった。

所在:松山市窪野町(旧窪野公民館跡)

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