城南地区(6)

永き日や衛門三郎浄瑠理じょうるり (璃)寺(正岡)子規

 昭和20年秋、浄瑠璃寺住職岡田章敬師の建立。松山戦後の句碑第一号。俳句稿「寒山落木」明治29年春の部にこの句がある。「永き日」が「春」の季語。
 昔、弘法大師がこの地方の長者衛門三郎の邸へ托鉢に来たところ、衛門三郎は大師の手の鉢を叩き割った。鉢は八つに割れて飛び散った。すると間もなく衛門三郎の八人の子が次々と死に、衛門三郎ははじめて己の罪を悟り、四国巡礼の旅に上ったという。句の「衛門三郎」はその伝説に因よったもの。
 この浄瑠璃寺は四国霊場第四六番の札所で、松山市内で一番若い番号の札所。句碑は地元の相原熊太郎が柳原極堂に揮毫をお願いしたもので、石材は、旧荏原村の古墳の一部だったとも言われる。この句は子規が東京で郷里を偲んでの句。境内には松山市指定文化財(天然記念物)「イブキビャクシン」がある。なお、寺の北方にある「文珠院」が衛門三郎の邸跡と言われる。
 門前に「長珍屋」という遍路宿がある。屋号の「長珍屋」は、開業のはじめ提燈作りをしていたことによるという。

所在:松山市浄瑠璃町(浄瑠璃寺石段の左)

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