城西地区(1)

御所柿に小栗祭の用意かな(正岡)子規

 明治28年(一八九五)10月7日、正宗寺を出て西垣生の村上霽月を人力車で訪ねる途中、雄郡神社で詠んだ句。
 「御所柿」の句は、「病餘漫吟」(明治28年)に「御所柿にいそぐ祭の用意哉」とある。また有名な、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の柿も御所柿で、子規の好物の一つであった。碑の文字は、子規句稿「寒山落木」の子規の自筆を拡大したもので、「柿」の正字は「柹」である。
 当時の「小栗祭」は10月23・24日で子規は、少年時代、余戸に住む伯父を訪ねてこの辺をよく歩いていたようである。

うぶすなにのぼり立てたり稲の花(正岡)子規

 句は明治28年秋の作で、「寒山落木」、「病餘漫吟」に収められている。雄郡神社は正岡家の氏神さま(うぶすな)でもあった。
 また、当社を詠んだ子規の句に「小栗神社」と前書きして次の句がある。
  朝夕に神きこしめす田歌かな (明治25年の句)

所在:松山市小栗三丁目(雄郡神社)

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