城西地区(3)
余戸手引松
行く秋や手を引きあひし松二木(正岡)子規
前の「御所柿」「薏苡」の句に続く、同日の子規の句。「散策集」に、「竹の宮の手引松は今猶残りて二十年の昔にくらべて太りたる體も見えず」として、この句がある。子規三〇回忌(昭和6年)を記念し、森河北ら南川会同人によって建立された。
「手引きの松」は、目通2.5㍍ほどの松が、地上5㍍のところでとなりの松とH状につながり、手を引き合った姿に見えるところから、いつとはなく「手引の松」と呼ばれるようになったもので、余戸の象徴として広く人々に親しまれ
てきた。
樹齢は推定200年くらい、学術的にも貴重なものとされ、昭和37年には松山市の天然記念物の指定を受けた。松の保護には意が尽くされたが、昭和54年秋、マツクイムシの被害で枯死した。昭和54年9月18日伐採し、H状になった部分を残して上屋を設け、昔の写真と共に保存されている。
この句碑は次の「若鮎の二手になりて上りけり」の句碑とともに、県下の子規句碑第一号となる。ちなみに子規句碑の全国第1号は、長野県飯田市上郷町の個人宅にある。
捨て鍬に蟻はひ上がる日永かな
の句碑で、子規の三回忌を記念して明治37年9月に建立されている。
所在:松山市余戸東五丁目(三島大明神社)
城西地区(3)番