城西地区(7)

初暦好日三百六十五(村上)霽月

 碑の裏の「今出吟社」は、明治40年頃、地区の俳人で霽月に師事するものが作った結社で、師を崇拝することの深かった三由淡紅がその中心となって月例会を開いていた。この句碑は、その人々が霽月三回忌の祥月に建てた報恩の句碑で、句は霽月の自筆である。
 一門の人も誠実の人々であったが、それを指導する霽月は、いつも和服で端然と座して、おもむろに長いあごひげを撫で、いかにも、おかし難い気品を備えた、謹厳実直な人であった。
 この句は、その人柄に相応しい気品のある句である。「初暦」は、「古暦」(冬)に対して、新年に、今年一年間用いる暦のことを言うことばで、これが季語となっていて、「新年」の句。名詞ばかりで出来ていて、歯切れがよく、引きしまった年頭の感慨の程もうかがわれる。
 昭和23年3月2日建立。

所在:松山市西垣生町(三嶋大明神社)

城西地区(7)番