城西地区(8)

李白一斗詩百篇 長安市上酒家眠

天子呼来不上船 自称臣是酒中仙

酔眼に天地うらうららかな(村上)霽月 才七十一

 地元の有志が昭和39年4月20日に建てた句碑である。霽月自筆。
 霽月は、これまでの俳諧が、写生主義や花鳥諷詠のみをこととしているのに飽き足らず、日ごろから尊敬している夏目漱石の漢詩を口ずさんでいると、その感興がふと俳句になって出たのにヒントを得て、元の漢詩につかず離れず、
漢詩から一転して、しかもその詩句に呼応して和する俳句の一境地を拓き、これを「転和吟」と称した。大正9年(一九二〇)9月のことである。晩年の俳句は専らこの「転和吟」である。
 右の漢詩は「李白一斗 詩百篇。長安市上 酒家に眠る。天子呼び来れども船に上らず。自ら称す臣は是れ酒中の仙と。」と訓む。「李白は大酒うた作り 都の酒屋でへべれけぐうぐう お天子さまのお召しにもいっかな船には乗らないよ 私は酒飲み仙人だ」くらいの意で、8世紀の中国の杜甫の七言詩。「飲中八仙の歌」中の李白に関する四句。

所在:松山市西垣生町(三嶋大明神社)

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