城西地区(9)

報恩謝徳自彊不息じきょうやまず

もずニ夕鵙ニかすり織りすすむ(村上)霽月

 碑の文字は霽月の自筆。句の右側の「報恩謝徳」は、「この頌功堂に祀まられた鍵谷カナ嫗の伊予かすりを創始した御恩に報い、ありがたく思う」意をあらわし、「自彊不息」は、「鍵谷カナ嫗の御恩に報いるため、自分たちも、やすまずに努力しはげむ」ことを誓うことを述べたものである。
 鍵谷カナ(一七八二―一八六四 天明2年―元治1年)は、伊予絣の創始者で、伊予絣は「伊予節」に唄い込まれている松山の特産品として全国に知られている。
 鍵谷カナ頌功堂の前にある「長楽寺」に鍵谷カナの墓があり、また霽月の墓もある。なお、鍵谷カナの墓前の碑の両側面には子規の句が刻まれている。
   伊予の人天草種庚より乞はれて
  おもしろや紙衣も著ずに済む世なり  子規(右側面)
   ここは今出鹿摺とて 霽月邸にて
  花木槿家ある限り機の音  子規(左側面)
 また、庫裏入口の前に立つ泰山木の下と村上家墓所の入口にある墓標には霽月の句が、また村上家墓所に「光風塔」と刻まれた墓標がある。

所在:松山市西垣生町(鍵谷カナ頌功堂)

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