城西地区(10)
梅か香の満ちわたりけり天か下(宇都宮)亀石
宇都宮丹靖は、丹騎鶴、夢大、蓬萊舎、亀石などの別号がある。喜多郡滝川村(現大洲市長浜町)の出身で、若くして京都に出て修行した。のち松山に住む。
四三歳年下の子規は、明治26年頃から文通し、明治28年、夏目漱石の寓居である愚陀佛庵滞在中は、北隣の宇都宮家を訪れて連句の指導を受け、歌仙を巻いたりしていた。
履脱天満神社の祭神「菅原道真公」が筑紫に左遷されるとき、越智郡桜井(現今治市)に上陸、陸路を当地に到って、沓を脱いで3年間逗留した後、勅使に追い立てられて筑紫へ去った。
その後、長保1年(九九九)、一条天皇が社殿を建立、履脱天満宮と称した。江戸時代になって松山藩主が社殿を再建、代々の藩主が参拝し、厚く敬ったと伝えられている。
西垣生町の「今出」は、菅原道真公が、船出をするのにあたって名残を惜しんで「今出る」と仰せになられたので、その浜を「今出浦」と名づけられたことによるという。
所在:松山市久保田町(履脱天満神社)
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