城西地区(11)

花見れハ齢そのふる世の人の老ぬ薬や桜なるらむ(石井)義郷

 「花見れば」の「花」とは、本堂の前に繁っている桜のことで、明治の文豪小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が、その著「KWAIDAN(怪談)」に「UBAZAKURA(姥桜)」として紹介されたことでも知られている名桜である。
 昔、子供に恵まれない長者が、大宝寺のお薬師様に願をかけて女の子を得た。大事に育てていたが、急に乳母の乳が出なくなった。お薬師様にすがったお蔭で再び出るようになったことから、長者はお堂を建てた。その後、娘は成長し
たが、十五になったとき重い病にかかり、乳母が我が身にかえても助けてほしいと祈ったところ、娘は治ったが乳母が倒れた。乳母は、お薬師様との約束だからと言って薬を断り、かわりに桜を植えてほしいと言って死んだ。長者が乳母の言葉どおり、本堂の前に桜を植えたところ、不思議なことに母乳のような色をした花が咲き、乳母の乳房のように見えたそうである。
 薬師如来を本尊とする大宝寺は、大宝1年(七〇一)に創建されたと伝えられ、貞享2年(一六八五)に修理されているが、県内最古の建造物として本堂が国宝に指定されており、仏像3体も重要文化財に指定されている。
 石井義郷は、本名 喜太郎。歌号は「萩の舎」、「芳宜の屋」。松山藩士で子規の父親隼太と同じ馬廻り役。東門番頭も務めた。

所在:松山市南江戸五丁目(大宝寺)

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