城東地区(1)
ふるさとのこの松伐るな竹切るな(高浜)虚子
高浜虚子は昭和26年9月13日~23日の間、子規五〇年祭式典参列のため松山に帰った。「九月二十一日東野を通る」として、虚子句集「七百五十句」にこの句があり、それには、「ふるさとの此松伐るな竹伐るな」となっており、同時の作に次の句もある。
秋の蚊や竹のお茶屋の跡はこゝ (高浜)虚子
この土地は、旧藩時代、虚子の祖父池内政明が管理していた所である。それに、この地の孟宗竹は江南竹とも言って、もと、中国から薩摩に渡来したものであるが、六代定喬が元文1年(一七三六)に親戚の島津家から特に分けてもらったといういわれがある(久松定武氏談)。藩主がじきじきにここへ移し植えたこの竹を「伐るな」の心か。松山藩士の血を受けた虚子の感懐を察すべきであろう。「竹伐る」は「秋」の季語。虚子の自筆。昭和33年5月建立。
所在:松山市東野四丁目(東野お茶屋跡)
城東地区(1)番