城東地区(3)

新場処しんばしょ紙つきやめばなく水雞くいな(右)(正岡)子規

そゝろ来て橋あちこちと夏の月(左)(五百木)飄亭

 子規の句は子規句集「寒山落木」第一の明治25年夏の句。現在の日の出町を素鵞村小坂といっていた藩政時代、藩は、紙漉職人を高知や周桑方面から呼び、藩奉書製造に当らせた。「紙つく」というのは、和紙の原料のコウゾ・ミツマタを臼でついて繊維をほぐす作業である。その臼音の小止みの間に「くいな」がたたくように鳴くのである。
 これらの人の住む辺りを新場所と呼んだ。その「紙の里」の昔を偲び、土地有志が、紙すきゆかりの地に、昭和57年11月28日句碑を建立した。このあたりを明治25年(一八九二)の夏、散策した際の子規の自筆句。
 飄亭の句碑は、彼の生家がこの句碑の西の方にあったのに因んで建立したもの。飄亭は本名良三。別に「犬骨坊」の筆名がある。松山医学校卒。子規より三年あとの生まれ。
 飄亭は明治22年10月7日頃、友人新海非風に伴なわれてはじめて子規の下宿を訪問し、名月に浮かれて、三人で上野の森を逍遙し、別れにあたって各人、今宵の逍遙を紀行にまとめることを約束する。それ以来、飄亭と子規は肝胆相照らした仲であった。飄亭の句碑も子規句碑と同日に建立した。

所在:松山市日之出町(石手川公園)

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