城東地区(6)

霜月しもつきの空也は骨に生きにける(正岡)子規

 この句は明治29年12月3日刊の雑誌「太陽」に載った冬の句で、子規句集「寒山落木」巻五(明治29年冬の部)にも載っている。空也(九〇三―九七二 延喜3年―天禄3年)は阿弥陀聖ともいわれ、三年間、浄土寺に立ち止まったとも。常に京の市中に立って庶民に念仏を勧め、鉦を鳴らし、瓢箪や鉢を叩きながら踊った。「骨に生きる」とは、空也は死んでもその教えは今も生きているの意か。その空也の木像が国指定重要文化財として昭和11年9月18日に指定を受けている。浄土寺は現在四国霊場第四九番札所で真言宗の寺である。句碑の文字は、元高野山管長森寛紹大僧正の筆。
 なお、浄土寺には、これとは別に森寛紹こと白象の句碑もある。

お遍路や杖を大師とたのみつゝ(森)白象

 白象は、温泉郡重信町(現東温市)生まれ。一二歳で入寺した高野山普賢院の普賢菩薩が白象に乗っているのに因み「白象」と号し、高浜虚子に師事した。昭和24年「ホトトギス」同人。句集として『高野』、『仏法僧』がある。

所在:松山市鷹子町(浄土寺)

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