城東地区(8)

巡礼の夢を冷すや松の露(正岡)子規 (南側) 壺天子書

茸狩たけがりや浅き山々女連れ(正岡)子規 (北側) 壺天子書

 昭和54年4月13日、小野文化同志会が、地区ぐるみで建立した。石材は西条市の青石。両面に句が刻んである。
 「巡礼の」の句は、明治24年8月19日より21日まで、温泉郡川内町(現東温市)の唐岬、白猪の二つの滝を友人二人と見物に出かけた時の句で、子規の紀行文「山路の秋」の中に、「途上畑中村にて老松の下にいこふ」としてこの句がある。当時、伊予鉄線路は久米駅まで。この松(「兜松」通称「さがり松」)は平井駅東一五〇㍍のところにあったが大正8年枯れてしまった。与力松の友松であった。
 「茸狩や」の句は、子規「俳句稿」秋草の部にある句で、明治33年11月30日の新聞「日本」にも掲載された。
 この句碑のある平井駅北側の小高い山々は、昔は松茸がよく採れた。そのことを頭において詠んだ句か。明治31年作の子規の「古里に茸狩りし日を思ふ哉鱸の膾正に此時」という歌とともに、子規の「望郷の気持」が偲ばれる。この碑のある辺りは、昔、松茸市場の競りで賑った。句は村上壺天子筆。副碑(省略)は佐伯巨星塔筆。

所在:松山市平井町(平井駅前)

城東地区(8)番