忽那諸島(3)

島人の踊法楽月の秋(村上)杏史

 村上杏史は温泉郡中島町(現松山市中島大浦)生まれ。俳号の付け方も様々だが、杏史は本名の「清」をもじって命名した。大正6年、両親とともに朝鮮に渡り、昭和20年に引き揚げ、昭和22年に中島ドレスメーカー女学院を設立した。この句は昭和24年の作。
 句には幸い自註がある。「島は盆踊りが盛んであった。新仏のある家は位牌を抱いて踊るを供養とした。老若男女変装に趣向を凝らして夜通し踊りぬく。夜々の月が美しくて。」
 ちなみに、中島大浦の隣、小浜地区には松山市の無形民俗文化財に指定されている「道具踊」と呼ばれる盆踊りが伝えられている。太刀踊りともいう。「団七」「土橋」「阿波十郎兵衛」「三平お菊」などの段物を演出し、なぎなた・くさり鎌・太刀などを持った踊り手、男女が交互に並び、踊る。
 道具踊は、伝説によると、南北朝時代、南朝方で御醍醐天皇の皇子である懐良親王が中島に滞在したとき、これを慰めることを考え武具で踊ることを始めたといわれているが、現在、仏の供養と村落の娯楽として夏の夜の風物詩となっている。

所在:松山市小浜(忽那島八幡宮参道)

忽那諸島(3)番