忽那諸島(6)

朝鮮がにくゝて恋し天の川(村上)杏史

 杏史の句集『高麗』の、昭和20年の部に「十一月二日 幾多艱難の末故郷に引揚」の前書きで載っている。
 この句も自註がある。「敗戦。三八度線脱出、手の裏を反した一部韓人の態度、そして帆船に五十余の命を乗せて台風下の玄海帆走。奇しくも助かって故郷中島に着いた。」(俳人協会『村上杏史集』)。30年近く住み、俳人・清原枴童が韓国の木浦へ来て住んだことから、入門し、俳句に邁進した土地だけに、朝鮮への思いは一通りでなかったろう。
 この碑は、かつて村上家の墓所であった長崎墓地の傍らにある。

所在:松山市中島大浦(長崎墓地)

忽那諸島(6)番