城下コース(19)

魚文かたにて素堂芭蕉翁其角の三幅対あれば訪ふて拝す

正風しょうふう三尊みたり梅の宿(小林)一茶

 寛政7年(一七九五)1月16日、小林一茶(当時三三歳)が松山の百済魚文(一七四五~一八〇四)(当時五一歳)宅(孔雀亭=現在の松山市三番町二丁目にあったとされる。)を訪ねた時の句で、碑も文字は一茶自筆「寛政紀行」の拡大である。
 三幅対とは、元禄4(一六九一)~7年の頃、其角門の松山藩家老久松粛山の求めで、狩野探雪が絵を描き、
  けしからぬ桐の落葉や笙の声  其角(笙の画)
  ちるはなや鳥も驚く琴の塵  翁(琴の画)
  青海や太鼓ゆるみて春の声  素堂(太鼓の画)
と三人が賛をしたものである。葛飾派の二六庵竹阿も魚文宅でこれを見ており、その門下の一茶もその師の跡を追ってここに三幅対を見て感激してこれに添書をし、風交を重ねた。
 魚文は武智吉蔵、諱は方章、のち方猷、当地の豪商で「茶屋」と言い、大年寄並の待遇を受けた。
 魚文宅の前には碑を建てる余裕がないので、道路事情のため、この地へ建てたものである。
 なお、両面に同じ句が刻まれている句碑は非常に珍しい。

所在:松山市勝山町一丁目(緑地帯両面)

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