道後コース(25)

山本や寺ハ黄檗おうばく杉ハ秋
画をかきし僧今あらず寺の秋(正岡)子規

 明治28年(一八九五)9月21日午後、「稍曇りたる空の雨にもならで」、「散策集」子規が愛松(中村愛松)、碌堂(柳原極堂)、梅屋(大島梅屋)の三名の松風会会員と御幸寺山の麓まで散策した時の句である。「山本」は御幸寺山の麓のこと。そこにある千秋寺は黄檗宗の禅寺で、貞享4年(一六八七)、中国の僧即非開山の名刹。有名な杉並木も昔の面影は少ない。「画をかきし僧」は、明治17年、六四歳で没した千秋寺一八代の住職周道和尚のこと。子規散策の明治28年からみれば、一〇年ほど前に周道は遷化している。南画をよくした周道には、子規の外祖父大原観山や、子規が書の師として尊敬していた武知五友との合作の作品もあることから、子規には余計に懐かしかったことであろう。
 文字は「寒山落木」の自筆拡大。

所在:松山市御幸一丁目(千秋寺境内)

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