城下コース(4)

夏目漱石なつめそうせきゆかりの旅館「きどや」跡

 漱石の「坊っちやん」で主人公が最初に泊った「山城屋」のモデルになったのが、当時松山第一流の旅館であった「きどや旅館」である。北大名誉教授城戸幡太郎(一八九三―一九八五 明治26年―昭和60年)の生家。
 「坊っちやん」では、懐の一四円の内から五円の茶代を奮発したら、いい部屋へ通され、「清」への手紙に、「きのふ着いた。つまらん所だ。一五畳の座敷に寝て居る。宿へ茶代を五円やつた。かみさんが頭を板の間へすりつけた。」と書いている。
 漱石は、この「きどや」から城山の山裾の「愛松亭」へ移り、のち、「愚陀佛庵」に移る。小説「坊っちやん」では、ここで一泊した翌日、一五畳の座敷で昼寝しているところを「山嵐」に起こされ、「いか銀」の家を周旋してもらって、翌日そこへ引っ越すことになる。漱石が松山に着いたのは、明治28年(一八九五)4月9日午後2時頃のことである。
 なお、明治のときの「きどや」は戦災により焼失してしまった。経営者の努力により昭和28年に総桧造りで再建、漱石が泊まった「坊っちゃんの間」(漱石の間)と呼ばれる部屋も忠実に復元されていたが、昭和53年に旅館を廃業。その後も建物は残っていたが、平成24年に取り壊され、今はない。「松山ゆかりの人びと」参照

所在:松山市二番町四丁目

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