城下コース(9)

なつかしき父の故郷月もよし(高浜)年尾

 高浜年尾は、昭和26年3月号から「ホトトギス」の雑詠選をして、「ホトトギス」を主宰していたが、昭和46年12月号で900号に達したのである。
 昭和34年4月8日、父、虚子は、八五歳の天寿を全うした。その時、「ホトトギス」は760号であった。その父の跡を継いで900号を迎え得た年尾は、さぞかし深い感慨を抱いたことであろう。昭和55年4月で「ホトトギス」はついに1000号に達した。この日を待ちに待った年尾は、惜しくも、その前年10月26日に没した。七八歳であった。
 この敷地内は、もと、虚子の長兄池内政忠が住んでいたこともあり、その前、漱石が下宿していた愛松亭には虚子も訪ねたことがあるなど、年尾にとってもゆかりの深い地であった。年尾自筆。
 なお、「年尾」という名前は、誕生日の翌日(明治33年 12月17日)、子規が「年尾」「勝見 」と赤褐色の色紙二枚に書いて送った命名案の中から虚子が選んで命名したのである。
 昭和47年11月建立。

所在:松山市一番町三丁目(萬翠荘への途中右側)

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