城下コース(11)

夏目漱石なつめそうせきゆかりの愛松亭跡

 漱石の「坊っちやん」の主人公は、「山嵐」に勧められて、「山城屋」から「町はづれの岡の中腹にある至極閑静な家」に移る。主人は骨董を売買する「いか銀」。その下宿のモデルになっているのが、「裁判所の裏の山の半腹にて眺望絶佳の別天地」、津田保吉の「愛松亭」(小料理屋)である。萬翠荘玄関前に現存する井戸の傍らに、昔は、平屋建の母屋、その西側に二階建ての離れ(愛松亭)があり、漱石は明治28年4月から6月頃までの数か月間、そこの二階に下宿した。萬翠荘の建つ前は一帯が池で、その西に垜があり、漱石がそこで弓を引いていたところへ、虚子が訪ねたことがあるという。ここは、もと、久松家の家老菅氏の屋敷跡で、漱石時代以後久松家の所有に移り、虚子の長兄池内政忠らも久松家用人として住んだ。大正11年久松家別邸として萬翠荘が建ってからは、昔を物語るものは、漱石らもその水で顔を洗った井戸の石組だけとなった。
 「愛松亭跡」の碑と副碑(漱石が明治28年4月16日、愛松亭で書いた恩師神田乃武宛の着任第一報の書簡碑)がある。昭和56年3月18日除幕。「松山ゆかりの人びと」参照

所在:松山市一番町三丁目(萬翠荘への途中左側)

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