城下コース(12)

秋晴の城山を見てまづうれ(今井)つる女

 つる女、本名は鶴。高浜虚子の次兄池内政夫の三女。父が早死したため、四歳の時、長兄政忠の養女となり、後、波止浜町長今井五郎と結婚、今井姓となる。この句碑のある萬翠荘の辺りは池があったりして、彼女が少女時代を過ごしたところ、彼女の原風景とでも言えるところであった。そこに、彼女の米寿を記念して、愛媛ホトトギス会と愛媛新聞社が昭和59年10月28日この句碑を建立した。その除幕式で、つる女は「この思い出多い所に句碑を立てて頂いて、こんなにうれしいことはありません。この辺りでよく一人遊びをしました。故郷と言えば松山。松山と言えばお城山。お城山と言えばこの場所を思います。この句碑は私の分身です。」と声をつまらせた。
 この他、萬翠荘の敷地には、
  紅梅や殿人がはこぶ茶一服  (酒井)黙禅
などもある。

※平成22年に発生した土砂災害の関係で、つる女の句碑が設置された場所は現在(平成24年12月末)入場が制限されておりますが、希望があれば萬翠荘の職員が同行、この句碑を見学することができます。

所在:松山市一番町三丁目(萬翠荘の裏山)

城下コース(12)番