城下コース(14)

牛行くや毘沙門阪びしゃもんざかの秋の暮(正岡)子規

 子規の「散策集」によれば、明治28年(一八九五)9月211日(土曜日)午後、「稍曇りたる空の雨にもならで、愛松(中村愛松、松山高等小学校校長)、碌堂(柳原極堂の旧号)、梅屋(大島梅屋、松山高等小学校教員)三子に促がされ―御幸寺山の麓にて引返し来る往復途上」の二四句の中の第二句目。ここは城の鬼門(東北)に当たるため、城の鎮めとして、昔、毘沙門天が祀ってあったので、この句がある。毘沙門天は、仏教の守護神で、その姿は、身に甲冑をつけ、左手に宝塔を捧げ、右手に宝棒を執り、二鬼の上に座している姿などがある。愛松や梅屋は、松山高等小学校に勤めていたが、当日は、土曜日であったので、その午後の休みを利用したものであろう。
 また、松山城の東口、東雲神社の境内には「毘沙門狸」という、化けるのが得意な狸がおり、柳原極堂らもよく化かされたという。極堂が若かったある時、夜更けに道後温泉から帰る時に、近道して線路の上を歩いていたら、向こうから「ポッポ・シュシュ」と汽笛の音といっしょに赤いヘッドライトが近づいてくるので、大慌てで線路をよけた拍子に側溝に落ちた。よく考えてみたら、終列車の時間はとっくに過ぎた真夜中だった、という逸話も残されている。
 この話はかなり有名な話になっていたようで、漱石の句に「枯野原汽車に化けたる狸あり」がある。

所在:松山市大街道三丁目(東雲神社下の三差路)

城下コース(14)番