城下コース(16)

東雲のほがらほがらと初桜七十九(内藤)鳴雪

 内藤鳴雪のこの句は明治26年(一八九三)4月4日子規庵での作。その時の下五は「朝桜」となっていて、当日の運座で「天」に入っている。この時、数え歳四七歳。
 大正13年の夏ごろ、東雲神社の能舞台の横にあった石を利用して、鳴雪の句碑建立を思いついた田内宮司が、当時久松家の家令であった菅節と相図って、鳴雪に交渉して、神社ゆかりのこの句を揮毫してもらい、大正14年夏建立したものである。鳴雪逝去の前年である。
 参道の左にある今の「東雲桜」は、植物学者の故八木繁一が管理していた木で、二代目である。東雲小学校児童の奉仕活動で植えられたものだが、この桜は山桜系の花で、ソメイヨシノよりは早く咲き、ヒガンザクラよりは遅いという。古今集に「しののめのほがらほがらと明けゆけばおのがきぬぎぬなるぞかなしき」(読人しらず)という色っぽい歌があるが、鳴雪はこれを知り給いしや否や。

所在:松山市丸之内(東雲神社)

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