城下コース(24)

涼しさや西へと誘ふ水の音(内海)淡節

 内海淡節は最晩年、北京町に住んでおり、自宅の前の溝を水が東から西へ流れていた。次女敏子(岡田東州妻 秋蘭女史)はこの句の思い出を、「夏も盛りの7月29日(碑の裏側の「六月十六日」は旧暦の日付)、『ちょっと筆を借せ』とおっしゃって、やっと読み下せるような字だったけれども、これだけお書きになってすやくとそのまま眠っておしまいになった。ちょうど寝ておられたお部屋の下を小川がさらさらと水音をたてて流れていたのでね。」と語っている。「西」は西方浄土。淡節の辞世の句となった。碑の文字は、秋蘭女史が写しとったもので、もと立花橋西側にあったが、市の石手川公園工事のため、ここに移した。
 旧暦明治5年12月3日を太陽暦の明治6年元旦とし、それから新暦となったが、この碑の建った明治7年頃は、まだ一部には旧暦が使われていたため、淡節の亡くなった日付を旧暦で碑に書いたものである。

所在:松山市柳井町一丁目(石手川堤)

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