城下コース(26)

子規詞兄の東都に帰らるゝを送りて

我ひとりのこして行きぬ秋の風(野間)叟柳

 明治27年(一八九四)、主として松山市立高等小学校(通称・松山高等小学校)の教員で結成した俳句会「松風会」の主唱者の一人、野間叟柳は、本名 門三郎、この碑からほど近くの市内北柳井町179に、子規より一年遅れて生まれた。
 明治28年3月16日、日清戦争従軍記者として戦地に赴く子規の送別会が三番町「明治楼」であったのが、子規と松風会員との初対面であった。
 子規が従軍より帰り、愚陀佛庵で病を養った五二日間は、松風会の無上の勉強の場となった。10月12日、子規の上京にあたり二番町「花廼舎」で送別会があり、碑の句は、その時の作である。
 この日の句にもう一句、
  行く秋を君帰りけり帰りけり 叟柳
があり、子規の「留別」の句は、
  送られて一人行くなり秋の風 子規
であったと「病餘漫吟」に記されている。
 昭和39年8月18日建立。

所在:松山市湊町三丁目(中の川筋緑地帯)

城下コース(26)番