城下コース(28)
正岡子規母堂令妹邸跡
この家は叔父の大原恒徳が子規の母と妹のために新築してくれたもので、四畳と六畳の二間で、庭もなく手狭な家であった。
明治21年(一八八八)5月14日、子規生い立ちの家からここ湊町四丁目10番戸(大原家屋敷内)に移った。明治25年8月中旬、帰省中の子規を漱石が訪ねて来たのもこの家である。子規生い立ちの家は明治22年11月29日、土地、建物とも291円10銭で米周呉服店に売却、大正12年7月池内清間氏の所有となり、その年の冬取り壊され、一部の材は正宗寺内の子規堂用材として使われた。
正岡母子は、子規の勧めで、東京の子規宅へ転居を決め、明治25年11月13日三津浜出発、子規は、これを神戸まで出迎え、京見物などして、11月17日午後12時15分、東京新橋駅に到着した。この日、子規に次の句がある。
母様に見よとて晴れしふじの雪 (正岡)子規
所在:松山市湊町四丁目(中の川筋緑地帯)
城下コース(28)番