城下コース(33)

子規居士髪塔(正岡)子規

 裏面に、「明治三十七年九月十九日樹」とある。子規は明治35年9月19日死去、10月28日ここで遺髪埋葬儀式と追悼会が行われ、三周忌にこの髪塔が建立された。文字やデザインはすべて親交のあった下村為山による。昭和23年10月28日、県の「記念物・史跡」に指定された。
 下村為山は、出渕町一丁目(現三番町六丁目)生まれ。一八歳の時に上京、洋画を学ぶ一方で、従兄である内藤鳴雪を通じて正岡子規を知り、牛伴と号し、俳句にも熱中した。その影響もあり、後に洋画から水墨画や俳画に転身している。また、為山の句碑が新玉小学校に建立されている。
 ちなみに、明治44年(一九一一)4月7日制定の松山市章も為山のデザインである。

鳴雪先生髭塔ひげとう(内藤)鳴雪

 裏面に「髯塔 昭和三年五月建」とある。鳴雪は大正15年2月20日没。三回忌に建立したもの。この塚も下村為山の設計による。髯はあごひげ。正面の図柄の「あごひげ」が納めてある。鳴雪と為山は従兄弟の間柄である。
  詩は祖父に俳句は孫に春の風  (内藤)鳴雪

所在:松山市末広町(正宗寺)

城下コース(33)番