城下コース(34)
松山にてホトトギス六百号記念会 極堂も席に在り
笹啼 が初音になりし頃のこと(高浜)虚子
昭和21年11月、ホトトギス600号記念会が正宗寺であり、席上、虚子の句碑建立のことが決まり、後日送られて来たのがこの句である。その時、「極堂のもたのむぞな」と虚子が言って、参会者を感激させたという。
「ほとゝぎす」は、極堂が明治30年1月15日、子規と図って、松山で創刊した。松山で20号まで発行し、その後を高浜虚子が継承して発行所を東京に移し、600号に達したのは、昭和21年の12月号であった。
「笹啼」は、冬に鶯がまだ春のように「ホーホケキョ」とはうまく鳴けず、「チチ、チチ」と鳴くこと。つまり、「ホトトギス」発足の頃を、鶯の「笹啼き」に喩えたのである。
所在:松山市末広町(正宗寺)
城下コース(34)番