城下コース(35)
打ちはづす球キャッチャーの手に在りて
ベースを人の行きがてにする
今やかの三つのベースに人満ちて
そゞろに胸の打ち騒ぐかな(正岡 子規)
ベースボールの歌(九首のうちの二首。新聞「日本」に明治31 年5月24日発表)
若き日の子規はスポーツマンで、野球に熱中して「ベースボールほど愉快にみちたる戦争は他になかるべし」と「筆まか勢」(明治21年)に書いている。
明治29年7月19日・23日・27日の三回にわたって、新聞「日本」の紙上で、ベースボールについてのルールなどまで説明している。自分流の訳語も使用し、その中で、今でも我々が使っている「直球」・「打者」・「走者」・「球」・「飛球」などは、子規が使い始めで、子規は、その文中で、「ベースボール未だ訳語あらず、今ここに揚げたる訳語は吾の創意に係る・・・(以下略)」と述べている。(講談社版『子規全集』第11巻29ページ以下「松蘿玉液」参照)右側の銅板の子規の写真は明治23年3月東京の写真師の丸木利陽が撮ったもの。
所在:松山市末広町(正宗寺)
城下コース(35)番