城下コース(43)

庚申庵こうしんあん栗田樗堂くりたちょどうの草庵)

 近世伊予第一の俳人・栗田樗堂が、寛政12年(一八〇〇)、五二歳の時に、残りの人生を風流三昧に暮らそうとして建てた庵で、戦災を免れて昭和24年9月17日、県指定文化財・記念物(史跡)の指定を受け、平成12年から同15年にかけて保存修理され、今日に至っている。
 「庚申庵」という名の由来は、この庵を建てた寛政12年が干支でいうと庚申(かのえさる)であったことと、古庚申と呼ぶ青面金剛の祠が、近くにあったのに因んだ由である。
 樗堂には三つの顔がある。一つは家業の酒造業、もう一つは町役の大年寄という公務。その間に俳諧に遊んだ。文化2年(一八〇五)に彼が書いた「庚申庵記」は、子規記念博物館に保管されている。大きな藤の花の吹く藤棚を庭前にした四畳半、三畳、二畳、二間の小庵の前の池は、保存修理工事により復元され、「我あとは誰か汀にながむらむ 月をかたみの宿の池みづ」の面影を偲ぶことができる。このように、古い庵のたたずまいが都市の片隅に今も存在することは、まことに奇跡とも言えよう。

「松山ゆかりの人びと」参照

所在:松山市味酒町二丁目

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