城下コース(45)

浮雲やまた降雪ふるゆきの少しつゝ(栗田)樗堂

 近世松山第一の俳人栗田樗堂の句碑である。樗堂は市内松前町豊前屋後藤昌信の三男で、同町内の廉屋栗田与三左衛門の家に入夫した。彼は養家の酒造業でも大をなし、また、町大年寄を通算三〇年近くも務めたが、若くして俳諧に長じ、養父与三左衛門(俳号・天山)の跡を継いで、二畳庵を再興し、寛政7年(一七九五)、一茶の来訪を受けた。この碑のある辺りが、その二畳庵の跡といわれている。
 樗堂の句風は上品で優しく美しく、おだやかでわかりやすい。この句は、その樗堂の作風にぴったりの句と言えよう。
 彼は寛政12年(一八〇〇)、この地の西南二百㍍の所に「庚申庵」を建ててそこに移り、後、文化11年(一八一四)、広島の御手洗島(現呉市大崎下島手洗)で没した。
 碑の文字は、樗堂自筆の拡大である。

所在:松山市味酒町三丁目(阿沼美神社)

城下コース(45)番