城下コース(46)

萱町や裏へまはれば青簾あおすだれ(正岡)子規

 明治25年夏の句。古くよりこの町に住み、公民館活動や郷土の古代研究や句作に、巾広い活動を続けた久保正留氏が中心となり、世話人が力を合わせて、この当地の地名の入ったこの子規句碑を、手づくりで建立した。子規自筆の拡大。昭和51年4月8日の除幕であった。句の上五の「萱町や」という一句に無限の親しみを込め、「裏へまはれば青簾」という下二句も、体のしこりのとれるような、親しみを感じる。
 萱町五丁目の公園のそばを道後の方から流れて来る宮前川は古町車庫の北から松山記念病院の裏を南に折れ、大宝寺の南麓を西へさらに南へ折れたところで中の川と合流して、津田中学校の東を北へ曲りあとは直進して三本柳を経て三津の内港へ通じている。昔は、舟によって三津方面へ、また三津方面からかなりの品物が運ばれたことと思う。「裏へまはれば」の一語の意味するものは、限りもなく深い。それと、「青簾」との対照も心憎い。

所在:松山市萱町四丁目(大三島神社)

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