城下コース(47)

三津口を又一人行くあわせ(正岡)子規

 明治25年(一八九二)夏の句。「三津口」は松山から三津への出入口に当たる交通の要地であるところからこの地名となった。ここから、大きな松並木が三津まで続き、明治21年10月伊予鉄の坊っちゃん列車が通じるまでは、誰も三津まで歩いていったものである。当時、ここは町はずれで、人家もまばらだったようである。「袷」は裏地のついた着物のことで「夏」の季語。四月から冬の綿入れの着物を袷に着替え、これを「衣替え」といった。この句は、「風爽やかな三津街道を、また一人袷せ着の軽装の人が通っているのを見つけた」という句意で、そこに、いかにも初夏らしい感じを抱いて作った句。百年前の松山の初夏の風物詩である。子規自筆。伊予鉄・市内電車の停留所名も「三津口」から「萱町六丁目」と変わった。「三津口」の町名の消え去ることを惜しみ、味酒公民館有志が建てたもの。

所在:松山市萱町六丁目(松山市保健センター前)

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