城下コース(2)

松山を去るに際し

わかるゝや一鳥啼て雲に入る (夏目漱石)

 夏目漱石が、熊本の第五高等学校教授となり、明治29年(一八九六)4月11日松山を去るに臨んで、松風会会員近藤我観に書き送った別離の句双幅(三つ切り)の一つ。もう一つの句は「永き日やあくびうつして分れ行く」である。
 いずれも「漱石」ではなく「愚陀佛」の号が記してあった。句の「鳥雲に入る」は渡り鳥が春になって北へ帰ることで「春」の季語。この日漱石は鬱金木綿の袋に入れた大弓を自ら携えて、虚子と広島行きの船に乗り、三津の海岸から出発した。
 横地校長、村上霽月、上野家の孫娘久保(旧姓宮本)よりえ(一一歳)が見送った。
 昭和37年10月23日建立。

所在:松山市一番町四丁目(西日本電信電話四国事業本部愛媛支店前)

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