風早一茶の道コース(2)

芭蕉塚(藤花塚)

 鎌大師の芭蕉塚は、元は「大師松」と呼ばれる巨松の根方にあった。この松が枯死したため移され、現在は吉井勇の歌碑の右側に並んで建っている。
 石碑には「芭蕉翁」とだけ刻印されているが、元禄1年(一六八八)4月、芭蕉が「大和行脚のとき」と前書きをつけて詠んだ句で、「猿蓑」(巻の四)に所収されている「草臥れて宿かるころや藤の花」に因んだ筆跡を埋めた塚ではないかとされており、「藤花塚」とも呼ばれる。
 碑陰には、
 「寛政五癸丑年秋中元日 藤花塚築
  松山白莵 二要 風早兎文 壺若 圃夕 杜由 可奥 梅長 怒田」
とあり、一茶に宿を与えた「兎文」の名も見られる。
 この塚は一茶が松山を訪ねる二年前に建立されているが、寛政7年(一七九五)1月13日、一茶がこの鎌大師辺りにたどり着いたのは冬の夕刻頃だったと思われる。来た時にはこれを見る暇もなく俳友が住まう西明寺へと急いだと考えられるが、帰途にあるいは見たかもしれない。
 「句碑」・「歌碑」のはじまりは、自筆句歌の短冊、懐紙などを埋めて、その上に供養塔として塚を建てたものであった。後に、句・歌だけを刻印した石碑を建てるようになった。

所在:松山市下難波(鎌大師堂)

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