風早一茶の道コース(4)
朧々ふめば水也まよひ道 (小林)一茶
西明寺(現最明寺)に辿りついた一茶であったが、一茶の師二六庵竹阿の俳友で、西明寺十一代住職竹苑文淇上人(月下庵茶来)に面会を求めたところ、十五年前(天明元年)に亡くなっていた。
一茶は、三百里の道を茶来に会いたい一念でここまで来たのに、と大いに落胆、その上、一夜の宿を求めたが、うさんくさい風体を疑われたのか、住職がおらぬからと断られた。また、この頃、西明寺は火災で焼けており、泊める場所がなかったからとも言われる。やむなく一茶は、西明寺を出てとぼとぼと歩き始めた。
なお、「最明寺」には、一茶来訪二百年を記念して作られた「一茶座像レリーフ」があり、その基壇に、「雀の子そこのけく御馬が通る」、「やれ打つな蠅が手をすり足をする」、「痩がへるまけるな一茶是にあり」の三句が刻まれている。
また、茶来の
枝おれて何と這ふべき蔦かづら (月下庵)茶来
という句碑が、「供養塔」とともに本堂横に立っている。
所在:松山市上難波(最明寺)
風早一茶の道コース(4)番