三津コース(1)
銀杏寺をたよるやお船納涼の日 (河東)碧(梧桐)
河東碧梧桐は明治39年から同44年にかけて、全国旅行をして、いわゆる「新傾向俳句」をすすめた。その途次、明治43年(一九一○)8月11日当地の結社・三津水戸鳥会の大会に列したことが『続三千里』に見える。出席者は一修・雷死久・連翠・隣仏と碧梧桐の五人で、その時の碧梧桐の句がこの句碑の句で碧梧桐の書。隣仏とは、当時の定秀寺住職河野隣仏のことである。
また「銀杏寺」は、同寺の異称で、境内に聳え立つ「大銀杏」は、松山の沖を通る船からもよく見え、一つの目印になっていたと言われる。


所在:松山市神田町(定秀寺)
三津コース(1)番