三津コース(3)

紗空楽都閑さくらつか(桜塚)             (正面)

木のもとにしるもなますもさくら哉   (松尾)芭蕉(左)

はつさくらはなの世の中よかりけり  (栗田)樗堂(右)

 文化十二年乙亥三月            (裏)

 松尾芭蕉と栗田樗堂との二句一体の碑。両句とも桜の句であるので「さくら塚」という。文化12年(一八一五)は樗堂死去の翌年に当たる。
 松山市で最も古い太山寺にある芭蕉と郷土の俳人「竹翁」の共に「柳」を詠んだ句が二句一基で「柳塚」と呼ばれるのに因んだものかもしれない。
 この芭蕉の句は、元禄3年(一六九○)の句で、芭蕉が郷里伊賀上野の花見の宴に桜の散りかかる様子を詠んだものといわれ各地で句碑になっている。
 栗田樗堂の妻は三津の出身で、その実家の離れ座敷の「帯江楼」や、樗堂が名づけた「九霞楼」(三津一丁目)などでしばしば句会を開いていた。

所在:松山市神田町(厳島神社)

三津コース(3)番