三津コース(4)

舟つなぐ三津のみなとの夕されば
  とまの上近く飛ぶ千鳥かも (正岡)子規

 「竹乃里歌」明治28年冬の部に所蔵されている子規の短歌である。
 三津浜港は天然の良港であり、鎌倉時代から伊予水軍の拠点であり、江戸期の藩政時代には参勤交代などのため船奉行が置かれていた。
 また、明治になると汽船の発着場として利用され、夏目漱石も正岡子規も三津から出発し、ここに上陸した。
 ちなみに、当時標識として使われていた「汽船のりば」の石碑(汽船のりば参照)が三津三丁目の防予汽船ビルの前に残されている。かつて石碑の前に広がっていた海は、今は埋め立てられて陸地となったことから、海が臨める現在の場所に石碑が移された。
 なお、万葉の歌人額田王の詠んだ伊予の港「熟田津」の位置については諸説あるが、「三津」は「御津」であったとも言われ、その候補地の一つに挙げられている。梅田町郵便局前には、これに因んで額田王の歌碑が建てられている。

所在:松山市梅田町(梅田町郵便局前)

三津コース(4)番